「―プランD-2に従ったまでです」
プランD-2とは、一般人対応マニュアルのことである。
素っ気なくそう言って前を向いたティエリアは、ロックオンが微苦笑したことに気付かなかった。
「…何故、あなたがここに?」
思わず訊いてしまったのは、どこかに気恥ずかしさがあったのかもしれない。
「‘姫’のボディガード中だから」
「……」
そんなミッションがあっただろうか。
その対象らしき人物も見当たらない。
いや、確か今日は―
「ロックオン、あなた、オフだって言いませんでしたか?」
「ああ」
あっさり返ってきた返事。
それはいったいどういうことですかと言いかけた時、ざあと強い風が吹いて、桜の木々が揺れた。
淡い花びらが舞い上がり、はらはらと地上へと零れていく。
ティエリアの紫の髪もふわりと舞い、揺れた。
それは地上でしか見られない、もの。
「―綺麗だ…」
「ええ…」
ぽつりと呟いたロックオンに、ティエリアは自然と応えていた。
「ティエリア…」
名を呼ばれ、すぐ真後ろに来ているロックオンへと、首を反らすように顔を上げた。
―!?―
すっと、ロックオンの顔が近付いて影になった。
何かと思う間もなく、唇には柔らかな感触が重ねられていた。
それがキスだと分かったのは、彼が離れてからだった。
「―な、何なんですか?今のは…」
「キスだけど?」
「そうじゃなくて!」
「あんまり綺麗だったからな、つい」
「はあ!?」
平然と、答えになってない返事をよこすロックオンにティエリアの眦がつり上がる。
どことなく、つかみ所のない男だと思っていたがここまでとは。
ガタンとティエリアは立ち上がる。
「どこへ行くんだ?」
「帰るんです」
「じゃあ、俺も」
「あなたはボディガードをしているんじゃなかったのですか?」
「だからさ」
「―……」
会話の意味が理解できない。
だが、これ以上は疲れるだけな気がしてティエリアは歩き出した。
「ティエリア!」
「ついて来ないで下さい」
「そりゃ無理だ。同じとこに帰るんだし」
「一緒に帰る必要はないと思います」
「おまえ一人だと危ないんだがなぁ…」
「どういう意味ですか!?」
「いや、まあ、とにかくいいからさ」
「ちょっ、ロックオン!」
結局、あのまま一緒に帰ることになって――
あれから、折りあらばこうして、絡んでくる。
うっかり隙を見せてしまったようで、口惜しかった。
「そんな顔するなよ。皺がすごいぞ、ティエちゃん」
ロックオンが指先でティエリアの眉間をつつく。
いったい誰のせいだと思っているのか。
「ロックオン、そんな呼び方はやめてほしいと言いませんでしたか?」
「あ?ああ」
「だったら!」
「いいじゃないの、キスまでした仲なんだし」
「!…あれは…あんな一方的なもの、論外です!」
不意をつかれ、ティエリアの顔が赤く染まる。
「心配すんなって」
ロックオンは立ち去ろうとするティエリアを後ろから抱きしめる。
あの時ティエリアが見せた表情。
マニュアルに従ったなんて言ってたが、それは違う。
猫に触れ、少女や桜を見ていたあの表情は、ティエリア自身の内から現れたものだ。
ずっと隠そうとしている彼自身の。
その心の内側をもっと知りたいとロックオンは思った。
「他のヤツには言わせないから」
「当然です。あなたも―」
「頼むよ」
急に、声音が真剣なものに変わった気がしてティエリアは黙った。
「二人だけのときにしか言わないから」
「――」
「な、ティエリア…」
抱きしめている彼の腕にさらに力が込められる。
「――分かりました」
ティエリアがそう言うとロックオンは腕を解いた。
「考えておきます。保留です」
「おい…」
ロックオンが情けない顔をする。
「だいたい、あなたと二人だけになる機会があるとは思えませんが?」
「そんなのは作ればいくらでも」
「―あなたの考えは理解できません」
「そのためにも機会は必要さ」
それから、誰かがその機会を作るのに懸命になったのは言うまでもなく。
新たな兆しはすぐ傍に――
終
080415