ごく稀にだが、天使や悪魔の姿を見ることができる者がいる。この子もその人間の一人なのだろう。
ティエリアはふわりと窓から中へと入った。
「君が、僕を呼んだのか?」
「はいです」
「なぜ?」
「…ママがもうずっと、目を覚ましてくれないです。お医者さまにも診てもらったけど、よく分からないって…」
「いつからだ?」
「えっと、一週間くらい前に疲れたからって、ママ横になって…それからだんだん起きなくなったです…」
少女はうっすらと涙が浮かんだ瞳を隠すように俯く。
「ずっとお仕事忙しかったから、少し休めば大丈夫よって言ったですのに…」
ティエリアは眠る母親へと視線を移した。
ぼんやりと彼女を覆うように浮かぶ黒い影の残留が見える。
――人の想念か…?――
「天使さん…」
少女がティエリアの白い衣をぎゅっと掴んだ。
「ママを助けて」
必死の思いを込めた瞳が見上げてくる。
「――了解した」
「ありがとうです!」
ぽろぽろと少女の瞳から涙が零れた。
「な、泣かなくていい…」
「えへ、ごめんなさいです」
戸惑う天使の姿に、涙を拭いながら笑った。
「ところで、君の―」
「ミレイナです」
少女は自分の名を告げる。
「ミレイナ、この一週間で何か変わったことはなかったか?」
「変わったことですか?」
「知らない人が訪ねてきたとか」
「…ママのお友だちなら、お見舞いに来てくれたですけど…」
「そうか」
ティエリアが腕を組み、右手の指先を顎に当て考えていると、ミレイナが何かを捜すようにきょろきょろとする。
「どうかしたのか?」
「天使さん、一人ですか?」
「えっ?」
「綺麗な白の天使さんには、強い黒の騎士さんがいるですよね?」
「黒の騎士?」
「黒い翼の悪魔さんです」
ミレイナは嬉しそうに言葉を続ける。
「その悪魔さんと天使さんはいつも一緒なのです。いないのですか?」
「いや…」
「わあ、やっぱりですぅ」
ミレイナは両手を合わせ、喜んだ。
「よく知っているな」
天使と悪魔が行動を共にすることがあることを知っている人間はあまりいない。
それを信じている者となると、さらに少なくなる。だがそれをこの少女は信じているのだ。
「ママに買ってもらった絵本にあったです。天使さんと悪魔さん、いつもとーっても仲良しさんなのですよ。その天使さんと、天使さんはそっくりなのです」
「…そうか」
一生懸命に説明するミレイナにティエリアは苦笑するしかなかった。
こんなとき、どう対処してよいのかまだよくティエリアには分からなかった。
これが、彼―ニール―ならもっと気の利いたことも言えるのかもしれないのだけれど。
「絵本を見せてあげるです」
とミレイナが言ったとき、来客を告げるチャイムが鳴った。
二人は顔を見合せ、ティエリアが促すように微笑むと、ミレイナは玄関へと下りていく。
「どちらさまですか?」
『クロエよ、ミレイナ。リンダのお見舞いに来たわ』
「クロエおばさま」
知り合いらしい遣り取りに、ティエリアは外へ出た。


2009/04/30


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