ティエリアはその手を振り解き、わずかに後退さる。
昏い瞳が、にやりと嗤った。
集められた‘負’がリンダに移ろうとしているのだ。
このままでは厄介なことになる。下手をすればリンダを傷付けてしまうかもしれない。
ティエリアは防御の呪文を唱えた。
まずはそれでリンダの身体を守ることにしたのだ。
静かな光が彼女を包み、‘負’を押し戻していく。
『…っ!…』
それは、捩れる暗雲のように彼女から離れ天井まで巻き上がると、ペンダントへと吸い込まれていく。
負の影が完全にペンダントに吸い込まれた時がチャンスだ。
その一瞬に媒体ごと封じ込める。浄化はそれからだ。
影が消えた。
―今だ!―
両手をかざし、魔封じの呪文を向ける。
再び湧き出そうとする影が、光のシールドに阻まれ終息していく――かに見えた。
「…っ!?」
黒い影が一気に膨れ上がるのと同時に、感電するような鋭い痛みがティエリアを襲った。
シールドはまだ破られてはいない。
だが、直径数メートルになったそれは、さらに膨らみ、部屋の半分ほどになっている。
球形の光の中、ぐるぐると黒い影が蠢いている。
ティエリアが思っていたより、それは力を持っていたのだ。
ちりちりとした、刺すような痛みが両の掌に伝わる。
反撃の機会を窺っているのだろう。
少しでも気を抜けばシールドを破られてしまう。
ティエリアは魔封じへの力を込める。
だが、防御と魔封じ、両方のシールドを保つには限界がある。
リンダの防御を一旦解いて、魔封じに集中するか。
けれど、その時に彼女の身に何が起こるか分からない。
もし彼女の中に完全に入り込まれたら。
―どうする…?…―
そう考えた刹那、ぐわりと影が揺れ、膨張を始めた。
―しまった!―
球形が中からの力に歪み、シールドに亀裂が入っていく。
ティエリアの身体にも痛みが走る。
「くっ…」
もうだめだと思ったとき、魔封じに力が加わった。
「―!?」
振り向くと――彼がいた。
「ニール…!」
「こっちは任せろ。おまえは彼女の防御に集中しろ」
「はい」
ニールが再び魔封じの呪文を唱える。
なおも影は抵抗し、うねりを上げた。
けれど徐々に、光のシールドに押され、小さくなっていく。
全てがペンダントに消え、その周りを光球が包む。
ニールは掌の上にその光球を持った。
「行くぞ」
「はい」
二人は翼を広げ、窓から上空へと飛ぶ。
夜空に浮かぶ黒白の御使い。
光球をニールは、自分達より少し離れたところに浮かせた。
「…できるか?ティエリア」
ニールはティエリアの身体を気遣っていた。
「ええ、大丈夫です」
ティエリアは気持ちを落ち着け、光球の中のペンダントを見つめると、浄化を始めた。
両手を球を包むように合わせ、浄化の呪を唱え、祈る。
両の手の間に蒼い光が現れる。
清浄な光。
ティエリアの手の中でそれは少しずつ輝きを増していく。
そしてそれは、一条の清冽な光となり、ペンダントへと射し込んだ。
一瞬の静寂――の後に、そこから十字の白い光が輝く。
そして――
ぽとりとティエリアの手の上にペンダントが落ちる。
浄化は終った。
もうペンダントには何の力もなかった。
ティエリアとニールは顔を見合わせ、微笑んだ。任務完了だった。
二人はリンダの寝室へと戻った。
穏やかに眠るリンダの枕元に、ペンダントをそっと戻す。
明日になれば元気になるだろう。
「もう、大丈夫だな」
「ええ―」
「じゃあ、戻るか」
「ちょっと待って下さい。ミレイナに話をしてから…」
「ミレイナ?ああ、あのお嬢ちゃんか」
キッチンへと下りると、彼女はテーブルに伏せて眠っていた。
ニールが万が一を考えてミレイナを眠らせていたのだ。
2009/11/23