その日の夕食は、ティエリアが言った通り、別荘の管理人の夫婦が作りに来てくれた。
片付けくらいするつもりだったのだが、それも必要なかった。
食事が終るまで隣の部屋で待機していたのだ。
そのせいかどうか分からないが、食事の間、ティエリアはほとんど話さず、こちらが話し掛けても、そっけなくて会話にはならなかった。




「チェックメイト」
ティエリアが告げる。
これで三戦全敗だ。
次の日の午前中、ティエリアは食事以外は、部屋から出てこなかった。
まあ、いきなり朝からべったりっていうのもなんだなーと、昼食後にティエリアの部屋に行った。
昨日のような刺々しさはないものの、疑わしそうな表情ではあった。
本当なら遊園地にでも連れて行きたいところだが、わざわざこんな別荘に来ているのだからそれは無理で。
見付けたチェス盤でチェスをやってみた。
やはりというか流石というか。
初めから相手にならなかった。
「やー、参った、参った」
俺はソファの背凭れにどさりと背中を預けた。
ローテーブルの向かいにいるティエリアは特に何も感じてはいないようだ。
「チェスはよくやるのか?」
「…いえ」
「それにしては強いなあ…いつからやってるんだ?」
「一年ほど前からです」
「一年?」
そんな短期間であれかよ。俺もそんなに弱いほうではないはずなんだが。
「よっぽど教え方が上手い人がいるんだ?」
俺の言葉にティエリアは不思議そうに小首を傾げる。
「人とはそんなに対戦したことはありません」
「じゃあ、誰と?」
ティエリアはちらとデスクにあるパソコンを見た。
「…コンピュータ?」
こくりと頷く。
「何で?」
「祖父がチェスくらい覚えておけと言ったので」
それで相手がコンピュータねぇ。
まあ、そんな大会もあったような。
そこでふと、思い出した。
そいえば、今年の大会では人間の方が勝ったとか聞いた気がする。
それも子供らしいと。もしかして。
「なあ、今年のコンピュータとのチェス戦、勝ったのって、ひょっとして…」
「僕です」
さらっと事も無げに。
そういう事は先に言ってくれ。
「どうかしましたか?」
思わず頭を抱えた俺にティエリアがきょとんと、訊ねてくる。
「いや、何でもないよ」
笑って答えたが、苦笑いになっているだろう。
「ロックオン・ストラトス」
「ロックオンだ」
「―ロックオン・ストラ…」
「ロックオン、だ」
「――ロックオン…」
ティエリアは困惑したように言葉を詰まらせていたが、暫くしてぽつりと言った。
よし。
「何だ?」
「読みたい本があるのですが、まだチェスをしますか?」
「いや、」
これ以上しても連敗記録更新だ。
ティエリアは立ち上がると、壁際にある本棚へ行き、並んだ本棚の間から何かを取り出した。
インテリアに見える木目調の立派な作りのもの、それは踏み台だった。
それを本棚の前に置き、扉をあけると、台に上がる。
二段ほどの台、それに乗っても読みたい本には届かなくて、背伸びをして手を伸ばす。
俺はティエリアの傍に行った。
「どの本だ?」
ティエリアは意外そうな表情で俺を見た。
「これか?」
「…あ、その隣り、です」
踏み台から下りさせてから取った本を手渡すと、ありがとうございますと、ぎこちなく言う。
「これぐらい、言えよ。取ってやるから」
「でも…」
「無理すんな、子供なん―」
「子供でも、自分でできることはしなければならない!」
不意にティエリアが声を荒げた。
「え?」
「子供でも甘えてはいけない、と…言われているんです…」
つい出してしまった大声に、恥ずかしくなったのか、だんだん声が小さくなる。
御曹司は甘やかされてはいないってことのようだ。
「前言一部撤回だ」
「えっ?」
「身長があるものがここにいるんだ。手伝わせればいい」
「ロックオン…?」
「大人同士だろうが、子供同士だろうが、個性、得意分野ってものがある。それを活用しない手はない。そうだろう?」
「…そうですね…」
不思議そうな顔をしていたティエリアが、微かだが、はにかんだような笑顔をみせる。
――可愛いじゃないか――
これはぜひ、もっと笑顔を見たい、と思ったのは内緒にして。
「だいたい、これくらいのこと頼んだって、誰もなんとも思わねぇよ」
俺はくしゃりとティエリアの髪を撫でた。




2010/03/31


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